| チョコっと悩んだ僕のバレンタインデー事情 |
僕には意味なんてないんだと思っていた。 「……」 いや、別に壁に掛けてあるカレンダーを見て今日は二月の十三日で木曜日だなぁ、とか思ったりしたわけではない。うん、断じて違う。僕は別は焦ったりはしてイナインダヨ? 自分で自分に言い聞かせ、服を着替えてから朝食を食べに一階に向かう。ペタペタと寝ぼけ眼のまま階段を下り、指定席でもある手前の椅子へ。鞄を足元に置いて、ギギギと椅子を引く。テーブルの上に広がるのは食パンに目玉焼きにトマト付きのサラダ、あとはホットミルクに青い布で包まれたお弁当。どうやら今日の母さんの気分は洋食のようだ。 「いただきまーす」 両手を合わせてパンに噛り付く。……うん、美味しい。噛み締めるごとに蜂蜜の味が染み渡り、ちょっと甘すぎる気がしたのでミルクを流し込んで中和させる。パンとサラダを交互に口にしながら、最後に目玉焼きを口の中に放り込んだ。 「ねぇ、そういえばさ」 この部屋の奥にあるキッチンから母さんが何かを思い出したかのように声を上げる。どうやら食器を洗っているらしいけど、一緒に食べればいのにといつも思ってしまう。お父さんの出勤時間に合わせて朝食を作っているわけだから仕方ないんだけども。 「ふぁんかほう?」 「飲み込んでから喋りなさい。お行儀の悪い」 「んぐっ。ごめんごめん。で、どうしたの?」 「悠ってさ、恋人とか作らないの?」 「……」 とりあえずミルクを口の中へと流し込む。うわー、なんか気まずい。すげー気まずい。水が流れる音と食器が触れ合う甲高い音だけが無意味に木霊しているこの空間。居辛いなぁ。 「高校二年にもなってさ、灰色の高校生活なんていうのも悲しくない? 明日はバレンタインなんだからチョコの一つや二つ――」 「あぁ、もうっ! この話は終わり。おーわーりーッ! 僕もう行くから」 弁当を鞄へ。肩紐に手を伸ばしてダッシュで玄関へ。そしてドアノブに手をかける。行ってきまーす、と逃げるように飛び出して、駆けながら携帯に目を向けた。ディスプレイには『7:25』と表示されている。 とりあえず走って出てきちゃったけど次の電車が来るまで八分近くあるし、ここから駅までは五分もかからない。息を整えて歩調を緩め、再び携帯のディスプレイへと目を移す。 十三日。別に我が家は仏教徒であり、キリスト教徒であるとかそういうわけじゃないんだけど、金曜日じゃない十三日がこんな嫌な数字に見えるだなんて思いもしなかった。 「……」 あぁ、やっぱり意味なんてないんだろうなぁ。駅に着くと改札口に食われていく電車の定期券。食われたかと思えば吐き出される。……不味かったのか。 定期券を手に取り、財布の中へ。ふわふわとした気分のまま電車に乗り込みそのまま学校へ。とりあえず誰かに話してみようと思ったのはそんな道中のこと。
キンコンカンコンと甲高く鳴り響くチャイムが授業の終わりを告げている。 四時間目の化学も終わり、教室がガヤガヤとした開放感に包まれていく。化学担当の山崎先生は一人でベラベラと喋っていて生徒達からは人気がない。当然僕の感想も同じ。そこから開放されたとなるとまあなんと言うか気分爽快ってやつで、 「で、チョコあげる側としてはどんな気分なわけ?」 「……随分といきなりだこと。あと、なんで私に聞くかなぁ」 右ひじを椅子の背もたれ部分に置き、振り向け様に聞いてみる。首を傾げられ、それと同時に黒く艶やかなセミロングが軽く揺れている。そして白いカチューシャの下にある柔らかそうな表情が戸惑いに変わっていく。小中高と見事なまでに同じで、更にはクラスも八割方同じというある意味運命的な結びつきがある幼馴染兼くされ縁。長年の付き合いである水城さゆりに話しかけるとこういう返答がまず発せられていた。 「だってさ、席も後ろだから話やすいし」 「悠のそういうところは長所だと思うけど、あれだよね。雰囲気と名前が一致するっていうのはこういうのだよ、っていう見本みたいな」 お互いに弁当持参。蓋を開けると白いご飯に卵焼きに野菜の炒めもの。その他数点。奥の弁当箱の中には赤いケチャップが魅力的なオムライスが……あぁ美味しそう。自分の弁当と比べてから野菜炒めを口の中へ。 「悠っていう漢字からしてもさ、なんか陽気な感じがするっていうかさ。だいたい僕っていう一人称も気弱い感じがするし。ねぇ、お調子者の性格してんだから恋愛面でもそれを利用して押しなさいよ。よく言うじゃない。男なら押して押して押しまくれ、みたいな。別にそのまま捕らえなくてもいいんだけど押すこと自体は間違いじゃないと思うよ? 時には一歩距離を置いてみたりすることも必要かもしれないけどさ、あんたみたいに自分は待っているだけですー、的な人間は損だと私は思うわけよ」 「はいはい、熱弁ご苦労さん。待っているだけ、ってそれは個人の捕らえ方次第じゃん。チョコに限るなら義理でいいから頂戴っていう人だっているわけだし。まっ、僕は当然そんなこと言っちゃう勇気なんてないんだけど。僕だって本当は告白される方が好きなんだから。で、実際のところさゆりとしてはどんな気分なの?」 「珍しく語るわね。何、もしかしてチョコ欲しいから私にこんな話題振った、とかだったら止めてよね? 間違ってもあんたに興味なんてないから」 なんかすげー冷えた目で見られてますです、はい。……ぱくぱく。うん、適度に広がる甘みがいい感じ。卵焼きは合格だ。 「……どうしてそこで黙り込むかなぁ。まあいいけどさ。つまりはアレじゃない? 好きな相手が出来て、告白する勇気がない。バレンタインデーっていうのはそういった人たちを救済するべく作られた記念日なわけで、きっかけなわけ。知っての通り事実は会社が儲けるため故意に作られてるんだけど、その辺はどうでもいい、よね? 私が語りたいから勝手に喋っているだけだし。で話を戻すね、って聞いてる!?」 「…………あ、うん聞いてる聞いてる」 「い、今の間は何さ! まっ、いいや。今日の私は機嫌がいいの。でもって話を戻して、チョコを受け取ってもらえると返事はおっけーなわけだから……まあいい返事が聞けますようにって願うのが普通だと思うけど? 「で、さゆりはどうなの?」 「あれだけ語らせておいてまた話を戻すか、あんたは。私の場合はほら、もう相手いるし」 勝手に喋ってたのはさゆりじゃん。とは言わない。言った瞬間にグーパンチが飛んでくるから。それにしても、そうだった。さゆりは確か夏休みが空けたぐらいに相手を作っていたんだ。そうなるとチョコは再確認という意味でしかないわけで、機嫌がいのはそれが原因ってわけだ。しかしそれと同時に、 「すげー嫌味に聞こえてきたんだけど」 「はいはい残念でした。尋ねてくる悠が悪いんですよーだ。っていうか私、ふふ、の好きな人知ってるんだから。つまりさ、悠も希望を持てばいいじゃない。それに明日にならないと結果はわからないってね」 げっ……と声を上げて話題を逸らそうとするべく、話の切り替え方をパクられたぁ、と情けない声を上げてみる。すると再びはいはい、と流されてしまった。つまんない。
「……そして僕は鍋を目の前に硬直しているのであった」 自分で呟いてはみるがやっぱり現状は何も変わらなかった。 授業も終わり、学校の帰りに近所のスーパーに寄った。板チョコ目的で買いに行ったのだけれど、どれを買ったらいいのかが分からなくて、とりえあず自分好みのミルクチョコ四枚とビターチョコ三枚の計七枚ほど買ってみた。出来れば母さんには秘密で作りたかったので帰ってくるなりキッチンへ向かった。早速その辺にあった適当な鍋を準備して、テーブルの上に置いた買い物袋の中からミルクチョコ二枚を取り出し、手で砕いて鍋の中へ。結果、見事に焦げてます。 「最悪じゃん」 これなら普通に食べた方が美味しいんじゃないかなーと思ったがそれでは意味がない。 ――悠も希望を持てばいいじゃない。それに明日にならないと結果はわからないってね。 さゆりの言葉が脳内をリフレイン。 明日にならないと結果はわからないからといって、何もこんなことまでする必要はあったのだろうか。もしかして市販のチョコでも良かったのではないだろうか。んー、と声に出して頭を掻き、別にこんな手の込んだことまでして回りの気を引こうとか考えなくても、それこそ市販のチョコでも本当に良かったのではないだろうかと考える。まっ、周囲の反応が変わるだけなんだけど。 「ちょっと悠っ! 何この臭いって、あら?」 そんな時だった。母さんが帰ってきたのは。 「……」 最悪のタイミングだった。家に帰ってくるなり何事か、と玄関で思った母さんはたぶんこの焦げ臭さから疑問に感じて、一番にキッチンへ向かったのだ。そしてそこには僕がいる。目の前にはバレンタインを直前にチョコを作っている自分が、おまけに鍋を焦がして、しかも何故かキョロキョロと慌てているのだ。母さんからはリビングの入り口付近からまるで何かを悟りました的な涙を浮かべて、うるうるとした視線を投げかけられてます。 「あの、母さん? これはね、そのね?」 必死で誤魔化そうとするものの、一向に目と目と合って動かず。終わったかと思えば大きくため息をされちゃってます。うわー、なんか物凄く悲しい子みたいな気分。 「悠、あなたって子は――」 「……いや、母さん? だからね?」 「素直じゃないんだからっ!」 むぎゅー。一歩一歩近づかれたかと思えば大きく抱擁されてます。ってか暑苦しいんですけど。 「もう、早く着替えてらっしゃい。私が作り方を教えてあげるから」 「……え?」 「え、じゃないでしょう。こんなに鍋焦がしちゃって。もう少し小さい鍋を用意しといてあげるから、さっさと着替えてらっしゃいな」 「うん、わかった」 戸惑いながらも自分の部屋へ。 それにしても、そっか。手伝ってくれるのか。なら、火加減とか手順だけ教わってあとは自分でやろう。じゃないと意味がないし。 クローゼットの中に手を伸ばして白いセーターを取り出した。次に青いジーパンを取り出して、腰のフックを外してやるとするするっと布が崩れ落ちた。そのままジーパンを履き、床に落ちたスカートをクローゼットの中へ。 よしっ、の掛け声と共に意気込んで、階段を下りていく。 明日はあの人に届けよう。場所はどこがいいかな、やっぱり屋上かな。 チョコを渡しても意味ないかな、って思ってたけどやっぱり渡すだけ渡してしまおう。 キッチンでは母さんが楽しそうに鍋を洗っていた。手順を説明している中で、私も昔は好きな男の子に渡したものよ、笑顔で語っていた。最後まで聞いているとどうやらお父さんではないようだったけど、たぶん僕もそんな感じになりそうな気がする。明日はバレンタイン。それで彼氏が出来るとか、その辺の結果はどうあれ気合を入れて作ろうと心に誓った、けど。 「悠ちゃん、火加減が強い。というかまたこんなに焦がしちゃって、もう。女として花嫁修業の一つや二つ、もっと教育しておくべきだったかしら」 「えー、母さんそれは酷くない? しかもちゃん付けって」 「料理もまともに出来ないような子にはちゃん付けで十分よ。それとチョコレート、新しく買ってきなさい」 結果以前の問題かも、と思ったのはそう間もないことだった。……やばい、早くも挫折しそうだ。マジで市販のチョコでも良かったかもって考えちゃってる。どうせ「うそ、自分で作ってないわけ?」とかさゆり達周辺に言われるだけだろうし。 コートを手を伸ばして言われるがままに外に出た。空は茜色に輝いていて、周囲に幻想を振りまいているような夕焼けが僕の気持ちを代弁している気がした。 「珍しく感傷的に浸っていると、余計に悲しくなってきた今日この頃である」 とか自分で呟いてみたり。……なんちって。 再び家に帰ってくるまでの間、僕の頬は緩みっぱなしだったけど、これでも一応は女なんだから少しぐらい期待してもいいよね。明日はバレンタイン。絶対に後悔しないものを作ろうと再度誓い、再びキッチンへと向かった。
|
| 大晦日から始まる何か |
「とりあえずはですねぇ、いつもは大晦日になるとこたつでぬくぬくと温まりながらですねぇ、テレビでカウントダウンを向かえて年越しそばを貪るのが習慣でしたからねぇ、こういうのは新鮮なのですよ」 これでもかという程の独特な、マイペースな口調から発せられる声色はどこか嬉しそうで、俺の隣から頭一つ分程低い位置には白いニット帽に白いマフラーを装備。年は一つしか離れていないはずなのだが、まだまだどこか幼い面影が残る童顔で、長い黒髪をゆらゆらと揺らしつつ、防寒セットに身を包んだ間から見える由佳はにこにこと微笑んでいて、今も尚嬉しそうに語っていた。しかし貪るという表現は辞めていただきたい。 「ところでですねぇ、大晦日というのは一年に一度しか味わえないと言いますが、例えば飛行機に乗っていて、外国で新年おめでとう〜♪ とやってこっちに戻ってくると時差の関係で二度味わえてお得感があると思うんですよねぇ、どう思います?」 周囲には屋台がずらりと並んでおり、俺達を含め大勢の人達で賑わっている。十二月の三十一日というのは多くの振袖姿の女性で溢れるものだという印象があったが、由佳はいつものように私服でここ、鳴海神社にやってきた。とは言っても俺もいつものように茶色いジャンパーを羽織っていたりと私服だったりするわけだから、ここら辺は先入観の違いなのかもしれない。 由佳の不可思議な話もほどほどに聞きつつ、とりあえず近くにあった屋台へと足を運び、たいやきを二つ、と指でも表しながら注文する。 「あぁ、無視しないでくださいよ〜、ってかたいやきですか? 奢りですか? 珍しいですねぇ、たっくんが私に奢ってくれるだなんて」 腰から黒い長財布を取り出して千円札を店主へと渡し、紙に包まれて半分だけ身を乗り出しているたいやきを受け取った。由佳にどっちがいい? と聞くとこっち、と左側にあるものより小さそうな気がする方を指差したので、渡してやり、お釣りの百円玉三枚を長財布へ。再び腰へと押し戻して適当にふらふらと歩き出す。 「日本では年越しそばを食べる習慣がありますけど、イタリアなんかはお豆さんを食べる習慣があってですねぇ」 冬の乾燥した空気が肌へと打ち付けてくる。透き通るような空も満開の桜のように星々で覆われてて綺麗だったし、こう周囲ががやがやと賑やかなのも偶にはいいかもしれない。 「お豆はお金の象徴というか、どうだったかな。お豆といえばおしることか甘い方がいいんですけど、あぁこのたいやきも大豆を使ってますねぇ。日本とイタリアの融合作ですねぇ」 いつ聴いても由佳の話は不可思議でしかない。たいやきの起源は分からないが少なくともイタリアで作られたことはないだろうし、イタリアと日本が共同制作して出来た、ということはないはずである。 はむ、とそれらしい音を立てながら由佳がたいやきを口にする。同じように俺もたいやきを口にしながら、携帯を取り出して時間を確認すると『11:45』とアナログ時計が示していた。 「そういえばまだ鈴を鳴らしていませんでしたねぇ、お賽銭にお金を食べてもらってもいないですし、一年の始まりは初詣ですが、やっぱりそれと同時に一年を無事に過ごさせていただいてありがとーってお礼をいないといけませんですねぇ」 そう言われて、改めて振り返ってみると今年の一年はどうだっただろうか。既に数十人の列が出来てしまった賽銭箱までの道のりを待つついでに考えてみる。 少なくとも、去年よりは充実していた気がする――由佳に出会ったから。 少なくとも、去年よりは楽しかった――境界線がなくなったから。 少なくとも、まだまだ知らない世界があったといことを知ることが出来た――外に出れたから。 今思えば由佳が不可思議ワールドを展開しているのに比べ、俺自身もどこか可笑しかったのかもしれない。 何にも考えずに自分がいる世界と外の世界は違うと思い込み、孤立し、無気力に、ただ一日を消化していく。こういうのを貪るというのではないだろうか。 それでも、今なら違うと言えるのだろうか。もしかしたらこれは幻かもしない。天使が見せた一時の幸せなのかもしれない。悪魔が見せた一時のまやかしなのかもしれない。 隣に並ぶ由佳の顔をちらっと覗いた。にこにこ崩れることのない笑顔を浮かべながら、まだかなー、まだかなー、と自分達の順番が回ってくるのを楽しそうに待っていた。 どこまでも子供らしい。これで本当に十七なのか疑いたくなってしまう程、由佳は子供っぽい。 もしかしたらお互いの足りない部分をお互いが持っているのかもしれない。だから彼女は俺に構ってきて、俺自身も彼女を拒んだりしないのかもしれない。これこそ都合のいい考えだとは自分でも思っている。だが、それでも由佳が隣にいて少なくとも嫌気があるということもなかった。今まで全てを拒絶していた俺自身がだ。 「来年も、楽しく過ごせたらいいですねぇ」 にこにこと。まるで何かを振り払うかのように。 やがて前方にいた人集りは少なくなり、順番が回ってきた。予め用意していた五円玉を手にし、賽銭箱の中へ。途中でたっくんってケチですねぇ、と聴こえてきたけど気にしない。ちなみに由佳は十円だった。なんだ、対して変わらないじゃないか。 太紐に手をかけて鈴を鳴らそうとし――、 「あ、待ってくださいよー」 由佳の温かみのある小さな手がそっと俺の手の甲に乗せられた。 「一緒に鳴らさないといけんませんよー、後ろの方も待っていますし、時間の節約はしないとですねぇ。せーのっ」 カランカラン。乾いた空気に鈴の音が響き渡った。何が起こったのか分からない俺を他所に手を二回叩いて瞳を瞑っている。ってか俺、手を乗せられただけで自分から動かしてないんだけど、まぁいいや。 数秒遅れて俺も手をパチパチ鳴らせ、目を閉じる。真っ暗な暗闇の中、今年もまぁ良かった。来年もそこそこ頑張ってくれ、と投げやり感たっぷりにお願いする。もとより神なんてものはあまり信じていないので、こんなもんでいいだろう。 瞼を開けて、この場から立ち去ろうとすると由佳がまだ祈っていた。何を考えてるのか、と思っていると、終わったのかこちらを見上げて、 「たっくんはお願い事が短すぎますねぇ」 と呟かれた。その場を離れつつ、何をお願いしたんだ? と聞いてみる。 「こういうのはですねぇ、口に出してしまうと効力が失われてしまうものなのですからねぇ。秘密なのです」 秘密。そう言われてしまうと余計に知りたくなってしまうのが人間というものだが、俺自身はどこまでも無気力なやつだ。今も、昔も。それでも、あーでも宝くじに当たりますようにとか、来年は無事合格出来ますようにとか、お父さんがエトセトラと恐らくは神様とやらにお願いしていたことを由佳が呟いてしまっているのは、由佳が天然である故のことなのか。その数十数個ほどぶつぶつと呟いていたのはいくらなんでも頼みすぎだろうと思ったりもしたが、まぁそれはそれで可愛らしい。 「あー、でもですねぇ」 ふと、俺より半歩前を歩んでいた由佳が立ち止まった。 周囲は今も尚賑わっており、背が小さな由佳は今にも人ごみに流されてしまいそうな印象を受けてしまう。 「一つだけ言ってもいいことなら、あったかもしれませんねぇ」 既にペラペラと喋っていたのに気づいていないのだろうか。そんなことを思ってしまうが、由佳が気づいていないなら無理にでも言う必要はないか、とそれって何だよと聞いてやった。 「んーとですねぇ、迷子になりたくないから手を繋いでもいいですか?」 わけがわかんねぇよ。 「まぁまぁそう言わずに」 そういうものの、俺の両手はポケットの中でぬくぬくと温まっている。今更外に出すつもりはないし、由佳に合わせてやる必要性もない。 「んー出てきませんねぇ。じゃあこうしましょう」 何事? と目を向けると由佳が俺の右腕に自身の左腕を絡めてきていた。 別にだからといって動揺したり、無理に振りほどこうとはしないが、如何せんさっきから論点がずれてきているのは気のせいなのだろうか。むぅ……こういうことを考えてしまっている辺り、数年間の生活が俺の人間性を狂わせてしまっているのかもしれない。家ではずっとネットやら読書やら、ただひたすらに知識を蓄えていっていたが、やはり人間の感性は経験という形でしか得ることが出来ないものだろうか。その点、由佳は……まぁいろいろと問題がありすぎる気がしないこともないんだが。 「あったかいですねぇ」 で、言ってもいいことって何だ? 「んー、まぁこういうことです」 それは答えになっていなかった。それでも、由佳がにこにこと微笑んでいる。本当にこいつは何が楽しくて笑っているのだろう。俺には分からなかったが、やがて深く鳴り響く音が辺りを振動し始める。これがあと百八回鳴るわけだが、まぁ分かったことが一つだけある。
「まぁ、お前と一緒にいるとその内理解出来る気がするよ」 「お願い事が叶いますよーにっ」
にこにこ。笑っている由佳の顔。相変わらず不思議なやつだが、まぁ悪くはない。今年こそは、なんて思いつつ、俺達は石畳の階段を下っていくのであった。
|
| リアルワールド 〜輪廻〜 |
男はふと目を覚ます。 見慣れた白い天井、一室。1LDKの自宅。しかし、何かがおかしい。 何がおかしいのかと問われれば、おそらく答える事が出来ないだろう。 現実であって現実ではない。今ここに存在しているのに存在していない。自覚しているのに認めない。 そんな不思議な感じが男を包む。 男はふと壁に掛けてあった時計へと視線を向ける。イルカの絵が描かれた丸い掛け時計の針は六時五十分を指している。 不思議な感覚に戸惑いながらも、男は身支度を済ませる。 Tシャツを脱ぎ、シャツ、スーツを手に取り着替え、朝食の準備をする。冷蔵庫より卵とベーコン、食パンを取り出し、コンロに火を付け、栓を捻って水を入れたやかん、掛けてあったフライパンを同時にコンロへと置く。慣れた手つきで作られた朝食をテーブルへと持って行き、玄関へと足を進めて朝刊を手に取って戻ってくる。朝刊を読みながらトーストを齧り、リモコンへと手を伸ばして朝のニュース番組にチャンネルを合わせる。やがてやかんが甲高い音を発したので、インスタントのコーヒーパックと灰色の陶器製コップを棚から取り出し、お湯を注ぎ込む。 いつもと変わらぬ日常。変わらぬ毎日。 家を出れば社会に混じって働いて、夜を迎えれば家へと帰ってくる。そんな何も変わらない朝の一連の動作。別に変わったことは何もしていない毎日の朝。 しかし、何かがおかしい。
何か違和感を感じる。それが何なのか、一体何が起こっているのか男には分からない。 やがて朝食を済ませた男は広げた朝刊を畳み、テレビの電源を落して部屋の電気を消す。 食器の片付けは家に帰ってから、夕食の時に一緒に片付けてしまうというのが男の日課だった。 何か電子機器が動いていないのか、照明は点いていないのかを軽く確認し男は家を出る。 外に出るとセミの声、小学生の集団登校によるざわざわとした声、だるそうに自転車を漕ぐ高校生の姿が男の脳内に聞こえ、映った。 九月に入って数日が経った日のこと。男はまだ続く猛暑に汗を垂らしながら仕事先へと向かう。 出迎えてくれたのは涼しげな冷風。冷房器具によって快適な温度に満たされていた仕事場は外とのギャップのあってか物凄く快適だった。 先に着いていた同僚に挨拶し自らのデスクへと足を進める。 時が経てば遅れていた仕事仲間十五名も出社し、全員が揃った所で課長の意味もなく長い無駄話を全員で聞く。これも日常の一環。 話が終われば仕事に取り掛かり、自らの目の前に存在する液晶画面へと文字を打ち出しへいく。鳴り響くのはキーボードを叩く無機な音。叩いて、昼食を摂って、また叩く。 やがて一段落した男は首を上げる。すると――目の前にいた篠塚が消えていた。 休憩時間なのかと思ったが、時計が指すのは午後の四時。この時間に休憩しているのは考えにくい。 つい先程まで居た気もするが、まぁ急用で帰ったのだろう、それに自分が気づかなかったのだと自身を納得させ、ふと今日は食べて帰りたくなったので、隣の山本に声をかけようと首を回す。
彼もまた消えていた。
気づけばこの空間には誰もいない。 あれだけいた人が全て消えている。残されたのは男のみ。男には今の現状を説明してくれる者が誰も居らず、軽くパニックを起こしていた。 「何が……あったんだ」 思わず呟いてしまうが、答えてくれる者は誰もいない。 この空間には誰もいない、それが今の現状だったから。 このままこの場所にいるのはいけない気がする、そう感じ取った男は荷物を揃え、この場を後にする。 すぐさま自宅に戻り、着替えもせずに布団に身を飛び込ませる。 男の意思はすぐに堕ちていった。
男は目を覚ました。 出迎えてきたのはいつも見慣れた白い天井。 時計の針は六時五十分を指している。同じ時刻、そして――昨日の朝と同じ状況で目覚めた男の姿。 スーツ姿ではく、いつも着用しているTシャツ姿だった。 すると、今まで自分が見ていたのは夢だったのか、と男は脳を働かせる。あの嫌な雰囲気、何が何だか分からない不思議な思い。あれはこれが夢だったのだ、そういうことを表していたのかと考えた。 考え、男ははっと頭を働かせる。 こんなことを考えてないで仕事に向かわなければ、と。 毎日していることと、同じことをして、家を出る。外に出ると、セミの声がジリジリと耳の鼓膜を揺すぶっている。 しかし、人を見かけない。集団登校する小学生、自転車を漕ぐ高校生、時より見かけ、少数で登校している中学生。鳴り響くのは、ただセミの声。 自転車も、車も、何もない。大通りへと足を進めても、誰も歩いていない。 そこは正にゴーストタウン。 「これも……夢なのか?」 夢の中で目覚め、夢の中で眠り、夢の中で目覚める。 自分はいつ現実に目覚めることが出来るのだろうか、と思うと、男は今自分が立たされている現状に恐怖を覚えた。 男は走り、自宅へと戻った。 眠ろう。そして起きよう。この夢の中から早く抜け出そう。 そう思って、男は布団の中に再び飛び込んだ。 眠って、目覚めて、外を確認する。 でも、誰もいない。
何度、何度同じことを繰り返してもその世界には男しか存在しない。 ただ聴こえてくるのは、セミの声。 一定のリズムで、集団で、独特の音階で鳴り響く。 それは何かを求めるように、満たすように、何もかもを忘れさせるかのように。 眠って、目覚めて、確認して。 明るい時間に目覚める時もあれば、真っ暗な時間に目覚める時もある。 外に出て、手当たり次第民家のチャイムを鳴らして、誰がいるのかを確認して……。 やがて男の精神は壊れていきました。 目覚める事の出来ない恐怖。眠って、目覚めるのに、実際には目覚めていない。 ここは夢の中、現実じゃない。夢の中で眠れど眠れど夢の中で目覚める。 現実の自分は? ここにいる自分は? 男が何を思っても現実は変わらない。
ここから、出られない。
どこで間違えてしまったのか。毎日同じことを繰り返し、毎日同じように適当に生きて、一日を終える。 何かを求めた事もない、何かが欲しいと思ったこともない。 ただ毎日を生きて、過ごして、死んでいければいい。そう思っていただけなのに。 男が目を覚ます。 目覚めると、辺りは闇で覆いつくされていた。そしてそれを打ち消すかのように、注ぎ込む一本の月の光。 これは……夢の世界なのか。現実に戻ってきたのか。 男はそれを確認するため、外へ出る。 人は――いない。しかし、今は夜だ。たまたまかもしれない。
でも、何もない。
先程まで見ていた光景に、光はあった。人がいなくても、それを照らし出す人工的な光はあった。 それに、何も聴こえない。 あれほど鬱陶しかったセミの声も、何も聴こえない。 「ははッ……どんどん悪化してやがらぁ」 壊れたように、男は言った。 何も考えず、ただ、今の自分の現状に呆れ果て、街の中を歩き続けた。 そして見つけた一つの鉄橋。 車なんて当然通ってない。人も当然歩いていない。男だけの世界。 下を覘けば、そこに見えるのは水の流れた浅い川の姿。高さにして五メートル程。 「ここで死ねば――」 鉄橋の真ん中で、男は考えた。 今、自分がこの世界で死ねば、元いた世界に帰れるのではないだろうか。 夢の中で死ぬ、それはつまり夢の世界で存在出来なくなる、と繋がるのではないだろうか。 しかし、そう考える一方で、それを止めようとする自分もいた。 脳が死んだと判断すれば、それは現実世界に影響するのではないだろうか、と。 例えば、脳が刺されたと判断すれば現実では何もされていなくとも、刺されたと判断した部分が腫れてしまうといった具合に。 脳が死んだと判断すれば、現実の自分も死んでしまうのではないだろうか。 そう考えながらも、男は手すりに足をかける。 こんな世界から早く離れたい。こんな世界にいるぐらいなら死んだ方がマシである。 そう考え、男は身体を宙へと投げ出しました。
『○○県××市に住む△△△に在職していた白縫一樹(しろぬい かずき)さんの遺体が昨晩の十一時頃、神沢川の河口近くで発見されました。 白縫一樹さんは一ヶ月近く前から謎の意識不明に陥っており、自宅にて家族の看護受けておりましたが、それが何故神沢川の河口近くで発見されたのかは分かっていません。 その時間に大規模な停電が数時間に及んだことにより、一樹さんが一人でそこまで歩いたのか、また誰かに連れ出されたのかを確認した者は誰も居らず、警察では慎重に調査を進めるとのことです。 ……では、次のニュースです。今朝方の午前五時頃。○○県××市に住む主婦の――』
とある民家に流れる朝のニュース。 何も変わらない日常を過ごす人々。何が起こるか分からない。何が待っているのか分からない。 過ぎれば思い出、過去のこと。 人は毎日何を考え、何を思って行動しているのか。 この民家に住まう家族もまた、会社へ、学校へ、食器を片付け水洗いを。 それは現実なのか夢の中なのか。 同じことを繰り返していれば、やがて現実と夢の境界が分からなくなる……のかもしれない。
END [READ MORE...]
|
| ウィルクスのとびら |
――私の新たな鍵よ。これからも宜しくだ。
彼――宮島圭吾(みやじま けいご)は自らが設定した時間に発する機械的な音により意識を引き上げられつつあった。 季節は冬。体温により温かみを持った布団から手探りで手を伸ばし、鳴り続ける四角い箱を探すものの、まだ覚醒しきっていない彼の脳は正確に目標物を捉えてはくれない。 「っ……うるせぇ……」 ようやく鳴り続ける四角い箱を手にし、その機械的な音を止めた時、圭吾もまた停止していた。 その間約五分程度。 しかしそれではこの時間に設定した意味がないなと思い、圭吾は再び身体をもぞもぞと動かし始めることにした。 身体を起こすとベットが軋むものの、それを気にせずぐぅっと伸びをする。 首を左右に傾け、肩を上下に上げ、ポキポキと音を鳴らし、全身に血流が回るようにもう一度背筋を伸ばした。 そんな一人暮らしをしている圭吾の部屋は至って地味である。 都会から少し離れた所に存在するその1Kの部屋は、生活必需品と呼ばれる品々しか置かれていないと言っても過言ではないのだ。オマケに日当たりは最悪。近隣を隙間なく建てられている住宅の数々は、その部屋へと続く日光を妨げ続ける。 そんな部屋で鳴り続けるもう一つの音があった。 トントンッ、トントンッ、と一定のリズムを保って鳴るそれは、機械的な音には表現出来ない温かみがる。 しかし――と、圭吾は妙な感覚に悩まされていた。 何しろ圭吾は一人暮らしである。 他には誰にも住まわせていないし、泊めた覚えもない。 そんな時だった。 「おぉ、ようやく起きよったか。ケイゴよ」 聞き覚えのない声が発せられたのは。 聴けば声の主はキッチンで何かを作っているではないか。 冷蔵庫から卵を二個取り出し、ボウルに落して慣れた手つきでかき混ぜている。 へぇ、慣れているもんだなと思った瞬間……圭吾は固まった。 あれは夢じゃなかったんだ。あれは夢じゃなかったんだ。ならこれは現実か? いや現実じゃなくて幻に違いない、と現実逃避をしているようだがこれは間違いなく現実である。 その姿を周りの人が見れば十人中八人は怪しい人だわ、とかなんとか呟くに違いないが、圭吾にとってこれは悪夢の続きであり、平穏な日常はもう帰ってこないのかと思うと呟き続けるしか他あるまい。 「えぇ、なんじゃ。昨日の事をまだ引きずっとるのか。女々しいやつよの。何、すぐ慣れる。いや、慣れて貰わなければならんな」 声の主が次々に言葉を発していくものの当の本人は固まったまま、未だ呪文のようにぶつぶつ、ぶつぶつと言葉の羅列を唱え続けている。 そんな気を他所に声の主はキッチンへと意識を集中し、ガスコンロへと手を伸ばす。そして点火。 フライパンへと熱が伝わるのを待ちつつも、その表情は終始にこやかである。 「なぁ、ケイゴや。主は何派じゃ? シンプルに塩か。しょうゆか。ソースか。ケチャップか。はたまた麺つゆかの?」 「いやいやいやいやいや、普通あり得ないだろ!? そんなの、そんなの……ちょっと待て、冷静になれ、俺……」 「ぬぅ、なんとも妙な会話じゃ。何派かと問うて、あり得ないと答えられればそのまま伝わりそうじゃが、実は答えていない。いやはや、面白いものよの。しかしこのコンロは火が弱いな。どれ――」 卵をかき混ぜている時点で目玉焼きが出来ないのは誰が見ても分かることだったが、それをツッコんでくれる者は誰もいない。玉子焼きかスクランブルエッグに麺つゆが合うかどうかは誰にも分からないが、そういう意図があって発せられたとしたら凄いことである。 そうして声の主が指をパチンッと鳴らした――その刹那であった。
キッチンが爆発した。
さて、全ての始まりは昨日の午前十一時頃。 「けいごけいご! 俺は、俺は……もうダメかも知れないんだぁあああ!」 「知らん。つーか、落ち込んでいるのかテンションが高まっているのかどっちなのかはっきりしろ」 「おぉ、見事なツッコミをありがとう。マイブラザー」 「…………あっそ」 と、学校の冬期講習を終え、友人と会話している頃まで遡る。 彼の名は阿久津京司(あくつ きょうじ)。容姿を簡単に表すなら長身で目が細く、それでいて屈強な男、というのが彼の第一印象であるが、実は演劇部なんかに所属していたりするから世の中ってのは分からない。 しかも本人は凄いノリノリ。一度役になりきってしまうとその劇が終わるまでは決して元の性格には戻ってくれないという俳優などを仕事として選ぶには嬉しいスキルだが、関係無いところでそのスキルが発動してしまうのはちょっと痛い。まぁつまり一言で表すならノリがいい男、というか空気が読めない馬鹿である。 「うむ。ところでここは一つ相談があるのだ、マイブラザー」 「もっと普通に呼んでくれ」 「うむ、それもそうか。ではもう一度言い直そう。――ところでここはひとつ相談があるのだ、我がオトウトよ」 「違う! それ、絶対意味違うからッ!」 〈マイブラザー〉=〈私の兄・弟〉というもはやベタすぎるボケにツッコミを入れるのも、既に日常と化しつつある時のことだった。そこで京介が兄という立場を選択したのは単純に彼の方が身長が高いためかどうかはわからないが、なんだかんだ言っても圭吾と京介の二人は仲が良いのである。 「……まぁその、なんだ。相談と言うのは部活のことなんだ」 彼が言うには今度の演劇部で行う演劇での下調べとして、共に近くの教会へと足を進めてもらいたいということらしい。 だからと言って、これは別に彼が脚本を書くということは意味していない。確かに部にはもうすぐ一年近く在籍していることにはなるのだが、そんなすぐには書かせてはもらえないだろう。 彼の話によると、これは演劇をする者たる者はその場の雰囲気を重宝しなければならないのだ、だから私は直接赴いてその雰囲気、役になりきること、それら全てを頭に刻み込んで劇をしなければならないのだぁあああ! とかなんとか語っていたが、微妙に日本語が間違っているのは気のせいだろうか? 「そんなの一人で行けよ」 しかし圭吾は反発した。 すでに講習で気力も体力も使い果たしている圭吾にとってはいい迷惑である。 このまま家に帰ってごろんと寝転び、昨日のタイムサービスで買ったさぬきうどん(一袋28円の破格の値段)でも使ってどんな昼飯を作るかどうかを考えようとしていたのだが――? 「おぉ、なんと嘆かわしい。この仏教徒である私が敵地に一人で乗り込まなければならないと言うのに……唯一の親友にまで裏切られ、私はこの命を投げ出さなくてはならないのか! えぇ、何!? 分かってくれたか、そうかそうか、では共に参ろうぞ!」 「えッ? ちょ、お前――……」 ガシッと襟首に手をかけられ、そのまま有無を言わさず連行されたのだ。 別に仏教徒とキリスト教徒とが仲が悪いと言うわけではないのだが、それよりも前に京介自身が仏教徒として自覚したことがあるのかどうかが問題ではないだろうかと圭吾は思った。 何しろこの前の法事を無視して圭吾の家に遊びに行ったほどである。本人曰く「メンドイではないか」だそうだ。 そんな本人が今更何を言っているんだろうか、と圭吾は思ったが、こう何の役かは知らないがそれになりきっている現在、彼を止める手段を持ち得ないのもまた事実であった。何より圭吾と京司では体格に差がありすぎていたのだ。これではどうやっても止められない。襟首を持って人を楽々引きずっていく相手にどうやって立ち向かえばいいのあろうか? いや、今は立ち向かうことも出来ない現状ではあるのだが気にしないで置こう。 しかし襟首を持たれて引きずられるということは、当然負担になる部分があると言うことだ。 「ギブ……ギブ……参った、参ったから、どうか……ぐえっ」 身に付けていた学生服が喉の部分を圧迫している。圭吾はそんな声を挙げながら意識を闇へと堕としていったらしい。 京司もそれには気づいていたが、どうやら無視していたそうだ。 本人曰く、圭吾もノリが良くて楽しそうだったじゃないかというのが後日談である。 ――彼はどこまでもノリが良く、お馬鹿であった。
そして次に圭吾が目覚めると見知らぬ教会内へと足を踏み込めていた。 目に入るのは一定の間隔で置かれた茶色い長椅子。それに目の前には大きなステンドグラスが壁にはめ込まれており、そこから入る光は様々な色を映し出していたのだが、圭吾はふと思った。あれ、あいつの姿が見えないな、と。 そんな時だった。 「おぉ、ようやく起きよったか、我がオトウトよ」 すでにこの小説を上から順に読んできた方々には聞き覚えのある台詞となるわけだが、この時間列に存在する圭吾は当然知らない。ついでに言うならばこの台詞からこの物語は派生したといっては過言ではなかったり、違ってたり。 そんなことは露知らず、もはやツッコミを入れることを吹き飛ばし、唖然になる圭吾。 目の前にいるのは見知った顔の京司と、見知らぬ顔のシスター。 ま、まさかこれまでの弟発言はこの<シスター>=<姉・妹>という二重トラップもとい、練り練られまくったボケのためにあったのかー! とかなんとか思ったが、あまりにも馬鹿馬鹿しくて途中で考えるのを止めたようだ。 「で、そちらはどちらさんで?」 「はい、私はこの教会でご奉仕させてもらっている者です」 なんとも上品な方である。 全体を黒く包んだその修道服に、頭はだけははっきりと出ているものの、その長い黒髪は優雅に宙へと放り出され、見るものを魅了している。顔は小さく輪郭ははっきりしていて……まぁなんというか可愛い。属に言う童顔というものなので、実際より若く見えているのかもしれないなと圭吾は思った。 「さて、帰るぞ」 「……はぁ!?] 圭吾は叫んだ。 何故こんな所にまで連れ込まれた挙句、目覚めた途端帰らなければならないのかと思ったからだ。それが例え、京司の用事が済んでいたとしてもである。 別に教会に来たからといって何もすることはないのだが、それでもとりあえず理不尽すぎる対応に叫ばざるを得なかったのかもしれない。はたまたこの目の前のシスターさんとお友達にとか思ったりもしたかもしれないが、それは本編とは関係無いのでスルーすることにしよう。と言うかしてもらっては物語が成り立たない。こんな所で別のフラグ立てイベントは必要ないのである。 「お前、何を言ってんのか分かってるのかよ!?」 この叫びだけ見ればこの地の文に対して訴えかけているように見えるのだが、どうやらそれは違うようだ。 「さんざん人を振り回しといて……この対応は人としてどうかと思うんだが?」 もはやシスターなどという人物は蚊帳の外である。本当ならここで「私は名乗るほどのものではありません」とかなんとか言って名前を出すのを逃れようとするシーンだったのにどうやったらこんな展開が出来るのだろうか? 「じゃ、帰るぞ」 「……おい」 「失礼しましたー、雨宮さん」 「いえいえ〜、人のために何かをするってのは気分がいいですから〜」 「…………」 さて、いろいろとツッコミ所が存在するわけだが、間違ってもらっては困ります。これはあくまで、
回想である。
そろそろ本編に戻らなければいけません。 だから例え主人公が相手にされなくとも、何故かシスターの名前を知っている京司に対しても、それは決してツッコミを入れてはいけない禁句なのです。 とかなんとか説明している内に目的のシーンまで進んだようです。 「では、お二人にこのペンダントを……」 さて、いきなり話が飛んだように見えますが、実はこの物語では一分程度しか話は進んでおりません。 黙りこんだ圭吾はこの場を立ち去ろうとし、京介がそれを追って「すいません、今日はもう帰ります」とシスターさんに言った直後のことである。 「……これは?」 思わず手を出し、受け取る京介。振り返り、ただ見るだけの圭吾。 渡されたのは二対の、銀色のロザリオのペンダントだった。 「神は私達をいつも見守ってくれています。あなた方が、いつまでも友人でありますように……」 そう言ってシスターさんは手を握り、彼らの前で祈っていた。 その言葉を聞いた京司は「ありがとうございます」と呟き、圭吾はただ、黙っていた。
「で、お前ん家って仏教だろうが。こんなもんもらってどうするんだよ」 「貰ったモノを返すのは良くないことじゃないか」 確かにそうである。 しかも今の世代、ロザリオのペンダントというモノは、どこの店でも置いてあるものだ。宗派などを関係なく置かれているそれは、身に付けるファッションアイテムとして利用する者も中にはいるだろし、別に変なこだわりを持つ必要はない。――だが、圭吾は別にそういう意味があって発言したわけではないのだ。なんと言うか、先程の一連で、自分だけ置いてけぼりを食らって拗ねているのである。 「で、ほれっ」 「おっと……」 軽く投げ出された片方のペンダントを受け取り、圭吾はそれをまじまじと見つめた。 これと言って変わった所の無い普通のロザリオである。何かが埋め込まれているわけではないし、周りに変わった装飾がしているわけでもない。 「まっ、俺は今日の所は帰るわ。この埋め合わせは絶対するから、な?」 そう言って圭吾の前で手を合わせて苦笑する京司。なんだかんだ言って、素の彼はどこまでもいいやつなのである。 そんなことを当然知っている圭吾は、あぁ、と呟き軽く笑ってやった。 「さて、と」 京司が走り去っていく姿を見送った後、圭吾は再びロゼリオへと目を向けた。 「こんなもん貰ってもなぁ」 何より京司とは古くからの付き合いである。 家は少し離れているものの自転車を使えば十分程度で着いてしまうし、気がつけばいつも隣にいたような気がする程の男である。 今更こんなモノを貰っても、今の俺達には関係がないじゃないかと圭吾は思ってしまったのである。 「ふむ」 少し悩み、再びロザリオを見つめて――圭吾はそれを道端のゴミ置き場へと投げ捨てた。 今俺達には必要のないものだ。 何より、どうせ何処かに置いて無くしてしまうだろう、と考えたのだった――が?
「何をしよるか! この戯けがぁあああああッ!!」
と、いきなり何者かに蹴りを食らわさせられたのであった。 この世界の物理法則を無視して飛ばされていく圭吾。蹴られた背中から腰へと伝わり、そのまま捻れるように近くの塀へと衝突し、その威力を止められる。 「……ありゃ、ちょっとやりすぎたかの。えぇい、起きんか! このッ! このッ!」 今更であるが、蹴りを食らわした相手を心配する――少女。 金髪に青い瞳。背も低ければ、顔立ちもまだまだ愛らしい。この日本のどこを探せばこのような少女が出てくるのかと問いたいが、今の少女の目は真剣そのものであった。 ピシピシと圭吾の頬へと往復ビンタをし、起こさせようとする。 その時どこかで錆びれた金属音がしたような気をするが、少女は尚も続ける。 これがポ○モンの技であるならば、相手を瀕死させることも出来るのだが、今は幾分手加減されているようだ。相手のことを気遣い(本当に今更だが)必死で起こそうとする様子である。 「えぇい、起きてくれんかのぅ〜ッ!」 ガックンガックン。今度は肩を揺すり、それと呼吸して頭が前後に揺れるものの、未だ圭吾は目が覚めない。 ――と、そんな時だった。 「……ぁ?」 薄っすらと目を開け、辺りを確認する圭吾。 辺りはどこかの住宅街。天候は晴れ。先程まで何をしていたのかと問われれば友人の頼みで教会へと足を運ばせていた。 しかし……それからの記憶が無い。そして何故か目の前には見知らぬ少女が――顔を近づけている! な、なんなんだこの状況は!? と頭がパニックている状況の中、少女は更に。 「おぉ、ようやく起きよったわ!」 更に首に手を巻き、抱きついてきたのであった。
な、ななななななんですとーーっ!? と顔を赤らめつつも、現状の把握が出来ずにいる圭吾。こういう状況下においてまず気にするのは圭吾の身体であるが、もはや王道ともいうべきか……これは主人公の特権である。あれだけの仕打ちをされたのにも関わらず、出来た傷は背中への軽い痛みと肩への不安。あとは頬が僅かに赤く貼れているだけである。そんなことを他所にそれでも少女はお構いなしに話を進めようとする。 「いや、ペンダントを捨てられた時はどうしようかと思ったが、いやはや精神リンクが間に合って良かった。もう少しでも早く捨てられてしもうたら、私は一生ゴミ焼却炉の中で過ごすことになることじゃった。具現化することも出来ず。動くことも出来ず。ただ熱によって燃やされ、その身が朽ちることなく一生をゴミ焼却炉なんぞで過ごすことになる所じゃったわい」 「……」 「いやはや、良かった良かった。ハーハッハッハッハ……ぐふッ」 「落ち着け、小娘。そして離れろ」 「な、なかなかやりおるの……それでこそこの、ゼルゥ=ウィルクスの新たな鍵じゃ」 「……」 謎の電波少女に対して軽くボディブローを食らわした圭吾は、とりあえずどうするべきかと考えた。公然の前でこんな少女と抱き合っていたとなれば世間の目が痛すぎるなと思いつつも、周りへと目を向ければ幸い誰も見ていないようなので一安心する。が、問題はこの電波少女である。何だ、鍵だの、ゴミ焼却炉の中だの、具現化だの、朽ちることなくだの……。待て、その前にもっと変なことを言っていたような? と、思考を巡らしつつ。 「で、お前さんの家は何処なんだい、お嬢ちゃん」 と、とりあえず当り障りのないことを言うことにした。 「んなもんはないぞ」 さて、ここでもまた変なことを言っている。ならば、と。 「じゃあ何処から来たのかな?」 「教会じゃ」 ということは孤児なのか? と考え。 「じゃ、とりあえず教会まで送っていってあげるよ」 「何故じゃ?」 何故、何故と言われれば俺が困ってしまう! と再び考え。 「じゃあお前は何処へ行きたいんだ!」 「主の家しか他あるまい!」
そして言い切られた。
いやいやいや、何がおかしい? 何処がおかしいんだ? っていうか何処からおかしくなった? 次々と新たな単語が圭吾の頭の中を過ぎっていくが、それを解消してくれる者も整理してくれる者もここには存在しない。 更に言うなら“これから起こること”を止めてくれる者も存在しない。 「えぇい、もうよいっ! せっかく見つけた新たな鍵をここで失ってなるものかッ!」 その瞬間――少女が光りだした。
視界が光によって埋め尽くされ、辺り一面は白く包まれ、少女の姿が細く、細く消えていく。 あまりに眩しすぎて右腕を使って光を遮ろうとするが、それでも圭吾の目に痛く焼き付けていく。 そして光が収まったその時。 「……は?」 圭吾の右腕には両刃の西洋剣、つまりはバスターソードという銃刀法違反と言われても仕方がない獲物が握られてあり、少女の姿は消えていたのだ。 「……えっと、まぁ何だその、わけがわからん」 当然である。一般人である者が、このような体験をしたら皆が皆こう呟くに違いない。 しかし、これから何をどうしたらいいのかが分からない圭吾はただ漠然と宙を眺めていた。 『なるほど、主の名はケイゴと申すのか』 「なっ!?」 『いい名ではないか』 「ちょ……」 突然何処からでもなく発せられる少女の声。何処にいる、とふと考えて圭吾は目の前のバスターソードへと目を落とした。 「ま、まさかなぁ」 『そのまさかじゃが?』 「……」 ハハッ、もうどうにでもなれ、と圭吾は思った。 これは夢である。夢なんだから何が起きたって不思議ではない。だって夢なんだからと再び強く心に念じ、すぅっと目を閉じて大きく深呼吸。 「さて、俺の夢に出てきたお嬢ちゃん。どうやったらここから出られるのか教えてもらおうか」 『な、何を言っておる。これは――』 まさにその時であった。 「お、お巡りさん! ここ、ここで小さな女の子が男の子を殴っ……ひぃっ!」 「き、君。そこで何をしているのかね!」 何故か近所の主婦であろう女性の方と警察の方が現れてしまった。 ふと圭吾は考えた。彼らから見て自分はどう映っているのだろうか、と。
1、何故か一人でぶつぶつと剣に向かって話している危ない男の子がいるじゃないか! 2、私の家の塀を壊した男の子があの子なんですよ! 3、この時代に抜き身の剣を持った少年。非行に走るのか!?
3である。間違いなく3である。警察の方々からすればここは間違いなく3を優先される! 「す、すいませんでしたーーーーッ!!」 「待ちたまえ!」 気づけば圭吾は逃げるように走り出していた。 これが発端となった出来事の全容である。 そしてなんとか自宅まで逃げ切った圭吾は帰るなり服を着替えてベットへと飛び込み、寝てしまって今に至ったわけだった。
「さて、これはどういうわけか話してもらおうかな」 先程の爆発を得て正気を取り戻した圭吾は自らをゼルゥと名乗った少女を部屋へと座らせ、キッチンへと立っていた。 これが夢ではなく現実だということも百歩譲って……いや、譲るまでもなくこれは現実なわけなのだが、圭吾にとってここは認めたくない部分があったのだろう。 何しろ昨日起こったことは今まで平穏な日常を生きてきた圭吾にとって衝撃的なことである。 それに加え今日の爆発騒ぎである。もう大抵のことが起きても彼は驚かないかもしれない。 「えぇ〜と、これは……じゃの」 自らが言葉を発する度に背が丸くなり、声が小さくなっていく少女。 昨日までのこと考えれば完全に主導権は彼女が握ったと言っても過言ではなかったのに、今の状態では完全に負けてしまっている。その辺は若さ故か……いや、もはやロザリオが彼女の本体でもあるので年齢も何もないのだが、ここは精神年齢とでもしておこうではないか。 「ぬ、主がの? 主が万全の状態を保持できるようにじゃな。だから、その……飯を、な?」 「これが飯ねぇ」 その彼女が言う飯とは無残にも黒いポリ袋へと注がれつつあるこの黒い物体である。 キッチン全体を見渡せば黒い煤で覆われているものの、それほど被害が大きいわけではない。 壁は拭くだけで元に戻るだろうし、爆風で散り散りになった鉄製、アルミ製の料理器具も整理するだけで大丈夫だろう。 しかし、水回りは物凄く悲惨な光景になっていたのである。 特に目立つのは食器類である。お皿は割れ、グラスも割れ、箸は砕けてしまっている。 キッチンに入るまで床に散らばる破片類を処理するのには困ってしまった程であった。 こうなってしまったのも彼女が原因なので、最初は彼女自身にも片付けをさせようとしたのだが。 「何、それぐらい簡単じゃ」 とかなんとか言って、座り込み破片を拾っていく度に身体の何処かが触れてしまい、次々と残っていた食器類を落としていくのである。 「お前はそこで座ってろ」 結局少女は座っているだけになったのだ。 この様子に圭吾は頭を痛くするものの、むしろこの程度で済んで良かったのだろうか、という矛盾した気持ちに悩まされているのが今の現状である。 「ほらよ」 キッチンから戻った圭吾は部屋の真中へと設置されたテーブルに丸皿を二つ差し出した。 「うぁわ……」 少女の目が輝いた。テーブルの上に飾られているのは極々普通の食パンに蜂蜜を塗ったものであるが、それが彼女には衝撃的だったようだ。 「主か? 主がこれを作ったのか?」 「あぁ、そうだよ。誰かさんがウチの台所をメチャクチャにしたからこんなもんしか出来なかったよ」 「うっ……しかしなんと美しい。食べるのが勿体無いぐらいじゃのぅッ〜」 「じゃあ食うな。俺が食う」 「あーあーあー。主のはそこにあるではないか!」 この光景だけを見るなら少女に餌付けしている青年というべきなのだろうが、それよりも圭吾が気になるのはもっと根本的なことである。 「さて、と。お前が何者なのかはもう訊かない。訊いても変な回答が返ってくるのは目に見えているからな。俺が聴きたいことはお前が何の目的で俺の前に現れたのかということだ。これぐらいなら言えるだろう?」 「むっ……んっく。私が現れた理由とな? そんなことは簡単なことだ。主の世界が危機だからではないか」 待て、今コイツは何て言った? 世界の危機? なら俺にアレか、勇者ってやつになれとでも言うのだろうか? そんなことより今、お前が俺の前にいるほうが物凄く危険なんだからどうにかしてくれ、と圭吾は思った。 普通ロザリオがこんな少女に変わる時点でこの世の物理法則に反しているとは頭では分かっているものの、それを理解したくない、今の日常を堪能できればそれでいい、とでも思っているからこそであろうが、そんな相手のことなど考えもせず少女は食パン(蜂蜜塗り)を頬張っている。 「……んっ。それにな、今の主とは精神がリンクしとるのじゃ。それ故に鍵が刺さり、扉が開かれた。つまりは私の魔の力が現実世界で主も使えるようになったというわけじゃな」 ここで彼女がいう鍵とは圭吾のことであり、その鍵で開けるべき扉は彼女である。 扉と鍵は共に存在し、閉じた扉を開けるには鍵である圭吾が必要だったと少女は語るのである。 「じゃあさっきの爆発はなんだ?」 圭吾は問うた。先ほどの爆発の原因を起こしたのが彼女なら、何故爆発が起きたのかを知りたかったからである。 「いやな、主のコンロから出る火力が弱かったからの、補助呪文であるプロミネンスを使って火力を増そうと思ったんじゃが」 「じゃが?」 「間違えてもうてエクスプロージョンを唱えてもうたんじゃ」 「……なるほど。爆発が起きるということは巨大な熱エネルギーが発せられるわけだからどちらも熱エネルギーを使っているので構造に差異はない、と――ってんなわけあるかぁあああッ!」 「ひゃうッ!?」 少女は驚き立ち上がった。多少目は涙で潤んでいるようにも見えるが、圭吾はそれを気にせずに疑問をぶつける。昨日から不思議なことが後を絶えないのである。 昨日だってそうだ。あの時は警察に追いかけられたというのに、今日になっても何もない。顔まで判明しているのにである。 今日もそうである。あの爆発騒ぎ、被害は小さかった(圭吾にとっては大きかった)のだが、近隣住民からの不安がる声は聞こえてこない。 そして極めつけはロザリオの一件である。やはりロザリオが少女に変わるというのは理不尽ではないか、と圭吾は思ったのである。 それらの問いに対して彼女の返答はとても分かりやすいものであった。 「魔の力じゃ」 前言撤回。それはとても分かりやすい回答であり、馬鹿馬鹿しい回答であった。 まるでどこかの「俺、王子だから」的な発言と同じである。 「……じゃ、俺行くわ」 「どこへ行くのじゃ?」 今度はゼルゥが問うた。見れば時計の長針は七を指しており、短針は十の数字を指していたのである。つまり七時五十分。圭吾は今日も冬期講習を受けなければならないので、掛けてあった学生服を手に取り、着込んで行く。第二ボタンから順に下へと締めていき、財布を右ポケットへと閉まって外出する準備をする。 「な、どこへ行こうと言うのじゃ。主は私の鍵であろう!」 「鍵ってのは持ち運びが出来るんだ。逆に言えば扉は普通動かない。お前はお留守番だ」 確かにそれもそうである。鍵というのは十センチ未満のものが殆どであり、誰もが持ち歩くものだ。鍵が刺さった扉など「どうぞお入りなさい泥棒様」的なニュアンスが含まれていても過言ではない。 それとは逆に扉は普通動かない。圭吾が言っていることは正しいし、こんな少女を連れて学校まで行けばどんな噂が立つのかと思うと恐ろしかったのであった。 「……ほら、あれじゃ。最近はリカちゃんハウスのような持ち運びの出来る扉もあるであろう?」 それは扉ではなく家である。というかリカちゃんハウスなる商品がこの世に存在するのかどうかを確かめてくれる人間はここには存在しない。 それを気にせず圭吾はMDウォークマンを取り出し、イヤホンをそれぞれの耳に押し込んでいく。 「それともなんじゃ。主はこの世界をせいふ――」 「なんだって?」 圭吾は押し込んでいた片方のイヤホンを外した。少女がまだ何かを言っているような気がしたからである。 「……この世界をどこぞの政府に任せたままでもいいのかの?」 今の間に若干の疑問を持ったのものの、それを口にすることはない。少女が何を言っても置いていく、この決定に狂いはないからである。 「だから……ダメか?」 「ダメだ」 「どうしてもダメか?」 「ダメだ」 「ならこれでどうじゃ?」 そう言った瞬間。彼女が光りだした。 昨日と同じ光。光が収まるとそこにあったのは。
「今度はどこへ行きやがった?」
訂正。そこには何もなかった。 目の前から少女は消えているものの、昨日現れたようなバスターソードはどこにも存在していない。 ならどこへ行ったのか、と思ったが、いなくなったのであればそれでも構わないと思い、傍に置いていた通学鞄を取って早く学校へ行こうと考えた。そんな時である。 圭吾の右腕に“見知らぬシルバーアクセサリー”が巻かれていたのは。 「おいおい……」 まさかと圭吾は思った。 それもそのはずである。そのアクセサリーは昨日見たバスターソードと同じ形をしたものであり、それにただチェーンが付いただけで宙をぶらぶらと左右に振られていたに過ぎないのだから。 『これなら文句あるまい?』 既に聞きなれてしまった少女の声が圭吾の脳内へと響いた途端、それと連動するかのように彼の肩はガクッと下がったのであった。 ――彼はどこまでも不幸な男である。
そして物語が急展開を迎えるのは正にこの時であった。 圭吾が自転車のペダルをだるそうに蹴り、己が通う学校への道を黙々と走る。いつもと同じ光景の中でただ唯一違うシルバーアクセサリー、自らをゼルゥと名乗る少女の仮の姿がこう告げた。 『む、魔の気配を感じるの』 「魔の気配?」 直接脳内に響き渡たる少女の声は、耳にイヤホンをしても離れることはなかった。今流行の音楽と流れるそれは、酷く鬱陶しいかった。 『そうじゃ、私が覚醒したということは、奴も覚醒したという同意語。このままでは――』 「……」 圭吾は黙っていた。 そして内心勝手に言ってろと思っていた。少女はこう言うものの、実際そのように世界を脅かす存在が出た所でどうなるのか? まずは警察が動く、次にもしかしたら軍隊が動くかもしれない。それからでいいではないか、と圭吾は思ったのである。何も真っ先に自分が飛び出す必要は何処にもない。それらが動いて無理だったら行けばいい、倒してくれるならそれでいい、と思っていた。 しかしそんな思考は三秒も待たずして崩壊することになった。 『どうやらこの方角。時間にして十分程度かの』 「……は?」 この方角。それは北西。今から十分。それは圭吾の目的地までの時間。 「いやいやちょっと待て、待ってくれよ」 というかその近辺にはこれといって目立った建築物が存在しない。 周囲を山に囲まれた市立南沢高校は自然豊かな環境に置かれた学校であり、この近辺に存在する唯一の高校である。 圭吾がこの高校を選んだのは街のニュータウン計画が始まり、入居者を募集していた頃まで遡る。当初はそれ相応の値段で売りに出されていた家々であったが、場所が場所であるだけに計画は失敗。その結果安い賃金でアパートやらマンションを貸し出さざるを得なくなったのだ。だが近所には高校の連れも多く住みついており、市立南沢高校を利用する学生にとってはありがたいことだった。 しかし、それ故に今向かっている方角には本当に高校しか存在しない。山を削って作られたスペースには立派な真新しい校舎が建てられているものの、その周囲は森林が深々と生い茂る山しか存在しないのである。 「マジ、なのか……」 圭吾は再び頭が痛くなった。 どうして自分だけこんな目に合わなければならないんだ。別に他のヤツでも良かったではないか。他のヤツがどこで何をしようと、俺は知ったことではない。全てがおかしくなったのは、あのロザリオのペンダントを貰ったあの瞬間から――。 「ペンダント?」 そこで圭吾は考えた。 待て、確か京介も同じ物を貰っていたのではないのか。 それなら自分と同じ境遇を受けているのではないか。 なら全てをあいつに任せてしまってもいいではないか、と。 そんな時である。 「よっ!」 京介に声を掛けられたのは。 気づけばもう校舎は見えており、あとは校門を潜って自転車置き場まで行くだけである。 京介が傍へと近づいたのを確認した圭吾はイヤホンを外し、鞄に閉まった。 「……圭吾。ちょっと聞きたい音があるんだが」 何か言いずらそうな声を発する京介。 それを見て、圭吾は思った。あぁ、やっぱりこいつも巻き込まれているんだな、でも俺は譲れない。なんだかんだ言って人が良い京介である。頼めばきっと引き受けてくれるに違いない。 そう思っていた。だが現実はそう上手くは進んでくれなかった。 『主から離れろぉおおおッ!』 圭吾の脳内に響き渡った叫び声は、現実世界では光の球となって現れた。 右手が持ち主の意思とは関係なく持ち上がり、その掌に光が収束していく。校門を潜り、目の前の坂道を登ろうとしていたその時。やがて限りなく圧縮された光の球は京介の腹部へと直撃し、彼の身体は坂道からグラウンドまで吹き飛ばされていた。 「なっ……!?」 物凄い速度で物体が飛ばされた衝撃で、グラウンドは砂埃で覆い尽くされた。 そんな中でもはっきりと分かる、京介が飛ばされたあと。 彼が乗っていた自転車は木っ端微塵に粉砕され、彼が飛ばされたことを示すかのようにグラウンドの土は抉れている。 「きょうすけぇえええッ!」 圭吾は叫んだ。 「お、お前。何を――」 声にならない程の怒気。彼の頭は白く何もかも消えているわけではなく、赤い怒りの感情で埋め尽くされていた。 しかし、ゼルゥは何も語りはしない。 「お、お前……自分が何をしたのか」 「やっぱりそうだったんだな」 「……えっ」 遠くから聞こえてくるのは人の声だった。それも、物凄く聞き覚えのある男の声。それは圭吾の心を激しく揺さぶり、同時に驚愕の二文字を表していた。 「きょ、京介……」 目の前から歩いて来るのは間違いもなく阿久津京介、その人である。 砂埃が漂うグラウンドから歩いてくるその姿は、まるで何かを決意した武士のようだった、着衣していた学生服は擦れ、捻れ、引き裂かれ、所々が赤く滲んでいたが、それでも京介の足はしっかりしている。 それだけではない。京介の手に握られているそれは。
漆黒の槍。
「イアンからお前のことを聞かされた時は正直疑っていた。でも、今のではっきりした。お前は――敵だ」 「きょう、すけ?」 「問答無用」 京介は跳躍し、その鋭い刃先を圭吾へと向ける。刃先は光を反射し、その刃で圭吾を射殺さんとばかりに突き出されてくる。それを交わさんと圭吾もまた無我夢中で一本の両刃剣を出現させていた。甲高い金属音が鳴り響いたとある朝の学校で、望まれぬ戦いが始まったのであった。
戦いの場がグラウンドの中心部まで動いた時。圭吾もまた叫んでいた。 「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」 迫り来る刃先を慣れない手つきで必死に捌いていくものの、それでも体格差故かじりじりと押され始めている。 「これは何かの間違いなんだって!」 「お前を倒さない限り、俺に平穏な時間は帰ってこんのだ」 気づけば京介の性格が一変していた。それは何かの役になりきってしまったということ意味する。 こうなってしまっては京介は人の話を聞かない。演劇に例えるなら幕が降りるまではこの役で通していくということだ。 そしてこれが演劇ならこれは――戦闘シーン。つまり、勝ち負けがはっきりするまでは決して元の性格には戻ってくれないのだろうと圭吾は毎日の経験からそれを悟った。 「参る」 一度距離を取り、再び漆黒の槍を構えなおす京介。 京介は言った。お前を倒さない限り、俺に平穏な時間は帰ってこないのだと。なら、それはつまり心休まる時が来ないと言う意味なのだろうか。自分という存在がいるから、己と唯一似た存在である圭吾がいるから。更に言うなら、その存在さえ倒してしまえば自分に逆らえる者はいなくなるから……。 「The word that a key means」 『唱えよ』 京介が何かを唱えるのとほぼ同時に、ゼルゥもまた圭吾の脳内で声を発していた。 『唱えよと言っておるッ!』 脳内に流れていく不自然な文字列。でもそれが自然と圭吾には読めた。何と書かれているかは理解出来ないが、次々と流れてくる解読不明な文字を必死に頭の中で詠唱していく。それだけ前方の雰囲気が普通ではなかったのだ。まるで周囲の風が京介を中心として高密度で圧縮されていくかのような違和感。このままでは間違いなく殺される! と圭吾は本能で感じ取ったからである。 「WIND CUTTER」 京介が唱え終えた。圭吾もまた詠唱を完了させていた。そして。
目の前の空間が爆発した。
「……ッ!」 まるで二対の威力を持った不可視の物と物とが衝突し、やがてその衝突地点を中心に、更に新たな何かが生まれたかのような情景である。 生まれたそれは、やがて強力な爆風を生み出し、両者の身体へと吹き付け、耐え切れなくなった二人はグラウンドの隅と隅まで飛ばされることとなった。 学校の敷地を囲う塀へと衝突し、勢いを止めることとなった圭吾は、その痛みに耐えながらふと思った。 あれがエクスプロージョンなのだ、と。 精神がリンクするというのはつまりこういうことらしい。ゼルゥの考えていることが脳内へと響き渡り、それを詠唱することでこの世の物理法則に縛る事の出来ない超常現象を生み出すことになるのだと。しかし。 「本当に……それしか方法はないのかよ」 圭吾はそう呟いた。 京介が本当にそういう存在であるとして、本当に殺してしまうという選択肢しか存在しないのだろうか。 例えば、あいつの持っている――もう一つのロザリオである片割れを壊してしまうとか。そういった選択肢はないのかとも考えたが、圭吾はそれは無理だなと感じた。自らを流れる本能があれは決して壊れることはないと伝えているのだ。 それに、向こうはこちらを殺すつもりで挑んできているのだ。生半端な気持ちで敵う相手ではないことを圭吾は知っている。 「本当に……」 『諦めろ』 ゼルゥはそう言った。 『主がそうやって悩もうとも、奴を倒さぬ限り、安心してこの世界に住むことは出来ぬのじゃ』 「だからと言ってッ!」 京介を殺してしまうことにどんな意味があると言うのだ。 いつも隣にいた親友。ちょっと変わった性格をしているけど、悪いヤツじゃない。なのに、なのに。 こんな馬鹿げた理由で殺してしまえだなんて。
ただ、平凡な日常でも良かったのだ。 それで圭吾は楽しかったし、何も不自由はしていなかった。 いつかは離れてしまうだろうと思っていたけど、それがどうして今なんだと。 そんな感情が圭吾の頭の中をぐるぐると駆巡っていた。だから、反応が遅れたのかもしれない。
『ケイゴッ!』
頭の中でゼルゥが叫ぶが、反応が間に合わなかった。 迫り来る京介が漆黒の槍を振り、圭吾が持つ両刃剣を弾き飛ばし、遥か前方へと突き刺したのだ。 「あっ……」 思わず声が出てしまう圭吾。 今の彼は普通の高校生にしか過ぎず、そんな目の前には鉛色に光り輝く刃を喉元に向け、立ち塞がる影があったのだ。 「最後に何か言いたいことはあるか?」 その刃先を退けることなく、淡々と言う京介。 彼の目には腰を下ろし、唖然とした目で彼の目を見つめ返している圭吾の姿しか映ってはいない。 「……どうして、こんなことになったんだろうな」 圭吾は苦笑気味に言った。 「さぁな。運命の悪戯かもしれん」 その言葉に圭吾はそっと答えた。そして。 「さらばだ」 刃先が圭吾の心臓を貫こうとしたので、圭吾はきつく目を閉じた。 まだ死にたくはなかったが、今日が命日なら仕方がない。人間生きたからには必ず死ぬ日が来るのだから、と自暴自棄になってしまったのかもしれない。 そう思って気を抜くものの、その瞬間は一向にやって来ない。不思議に思った圭吾は、そっと瞼を開くことにした。 「マスター。これには不可解なことが多すぎます」 「……は?」 圭吾は首を傾けさせた。目の前にはこれまた見知らぬ少女が立っていたのである。 どこか感情を欠落したかのような少女。髪は黒く、長髪で、腰に届くほどにまで伸びている。 それが京介に向かって何かを話しているのだからと考えたが、やがて、あぁゼルゥと同じような感じのヤツかと頭を働かせた。何故ならその少女の顔はゼルゥとほぼ同じ顔をしているのだから。 「ウィルクスの扉を手に入れたマスターは、契約時の精神リンクによってその心を悪へと染められるはずです。感情を制御され、善の心を無くされ、悪の心へと支配されるのが普通なのです。しかし、彼にはその様子が見られません。自我も存在しています。本来なら感情を失った所をウィルクスに付け入られるわけですから、これは異常とも言えます。しかも先程の呪文詠唱。タイプが異なっています。ウィルクスが行う詠唱は主に言霊を用いた言語魔法にあるはずです。精神への干渉を主に得意とするウィルクスの扉の主は、その言霊を用いて相手を弱らせ、時に己を強くするのです。しかし彼は言霊以前に詠唱さえ唱えておりません。恐らくは自らの脳内で詠唱をする簡易詠唱なのでしょうが、それでもやはり言葉に出して詠唱する場合と比べると見劣りしてしまうはずです。それ故に――」 「はい、ストップしような。イアンちゃん」 「……はい?」 圭吾は再び首を傾げた。 ひたすら黙々と自らが思うことを述べていく彼女に対して、それをまるでいつものことだからと、慣れた様子で止めた京介を見て思ったからではない。 ただ、目の前の状況が理解出来ていないだけである。 「つまり、圭吾は無事ってわけか?」 「はい。簡潔に申し上げますなら、彼自身の自我が残っており、ウィルクスとの契約が何故か未完成の今、彼に異常はないと見られ。それから――」 「はい、ストップしような。イアンちゃん」 再び京介が言葉を遮る、そして。 「だ、そうだ」 圭吾に振った。 「分かるかぁあああッ!」 「マスター。やはり彼には異常があるようです」 「……助けてくれ」 圭吾は別の意味でそう思った。 彼女が話す内容を全て纏めるとこうなるらしい。 京介の貰ったロザリオはエリシアの扉と呼ばれ、圭吾の貰ったロザリオはウィルクスの扉と呼ばれていた。 もとは一つしか存在しなかったロザリオなのだが、これには深い事情があるそうだ。 とある錬金術師が作ったそれは、この世の物理法則に縛られない手段を得るものの、ウィルクスの扉の主に選ばれてしまったものは心を支配されてしまう。 それを防ぐためにエリシアの扉なるロザリオが作られ、それらを監視する役目を与えたそうだ。 何時の時代も、人知れず使われていた二対のロザリオは、何故か毎回二人が争う形で終焉を迎えていたそうで、それに困った前回のエリシアの扉に選ばれた男性は、とある場所に二つのペンダントを隠したという話なのだ。 それが何故あの教会にあったのかは分からないが、恐らく誰かが質屋にでも入れて、それが転々と移ったのではないかと語るのだ。しかし。 「全然分からん」 圭吾はそう呟いた。 確かにこんな話を聞かされて理解できるものなどそうはいない。いるとすれば頭のおかしな、どこかの科学者かオカルト好きな物知りか、または変人ぐらいである。 だが、起こったことは紛れもなく現実の範囲からは飛び出しているのだから、なんとも複雑な気持ちである圭吾であった。 「ってかお前らが悪の親玉じゃなかったのかよ?」 確かに、あの少女の話を聞く限りではそうでなる。 主が住むこの世界が危ないだの、安心してこの世界に住むことが出来ないだの、どこかの政府に任せたままでもいいのだの、正義のヒーローじみたことを随分言っていたようなと考えて。 「いや、待てよ……」 主の世界が危ない。確かに自分が生活している環境で、悪という立場ならそれも正しい。敵がいるのだから。 安心してこの世界に住むことが出来ない。確かに自分が悪ならそれも正しい。刃向う者がいるのだから。 そして彼女は確か言い直したような節がある。あの情景を思い出しつつ、彼女の動かす唇の動きと、先ほどの文を照らし合わせていくと。
主はこの世界をせいふ……く。
つまり主はこの世界を征服したくはないのか、と言っていたような気もするのである。 「おい」 「あいよ」 「あの馬鹿剣を取ってきてくれ」 「オーケーオーケー。取ってきてやろうじゃない」 すでにいつもの圭吾に戻っていることに気づいた京介は、同じように何やら怪しげな笑みを浮かべて突き刺さった馬鹿剣なる物体の方角へと向かった。 見れば、何故か剣がぶるぶると震えているような気もする。恐怖の表れというやつだろうか? そんなことをお構いもなしに柄の部分へと手を伸ばす京介。しかし、何故かボンッと音を立てて少女の身体へと戻った馬鹿剣なる存在は、一目散にこの場を去ろうとする。 「ぬ、主なんか知るもんかーっ!」 「待て」 「は、放さぬかこの木偶の棒!」 「はいはい、放してやるからこっちまで来いっての」 「いーやぁあああ! 放せ、放せ、私を誰とぞ心得る。私を――きゃうッ!?」 首根っこを掴まれ、そのまま宙をじたばたと暴れていたゼルゥだったが、京介の力を振り切ることは出来ず、圭吾の目の前へと投げ出された。 「てめぇ、自分が何したのか分かってるのか? こら、この、こうだ」 「ひぃひゃいへはないひゃ!」 何を言っているのかが分からない。 圭吾に頬を掴まれ、横へぐいぐい引っ張られているのだからそれも当然かも知れないが、そんなことをお構いなく、京介は口を挟んでくる。 「で、イアンちゃん。こいつはどうすればいいんだ?」 京介が尋ねると、イアンと呼ばれる少女は、約一秒ほど考え、きっぱりこう告げた。
「わかりません」
圭吾はずっこけた。 あれだけ長々と語るものだから、今回もそれ相応の対処法をそれはながーく、深々と語ってくれると思ったのだが、語られた言葉は僅か六文字である。 「わからないって?」 京介はどういう意味? と更に付け加えた。 「私達は、それぞれが毎回争った形で終焉を迎えています。全てにおいての終焉は、私がウィルクスの扉を破った時点で自己睡眠モードへと移行されますし、同時に今までの歴史の中で、私がウィルクスの扉に敗れたことは一度もありません。よって、このような展開は初めてなのです」 「つまり?」 「わかりません」
「だそうだ」 「いや、同じ言葉を繰り返されても」 圭吾は困った。 恐らく、自己睡眠モードというものはあのロザリオの状態を指しているのだろうし、今の状態でどちらかに勝敗がついた、かと言われれば答えられそうだが、それは決して生と死、という意味はしていないからである。 当の本人である馬鹿剣ことゼルゥは、ぷいっと明後日の方角を向いている。そんな時であった。 「……主がいいのならこ、このままでも良いぞ」 「何だって?」 「……あ、あれを食べさせてくれるならそれでもいいと言っておるのじゃ!」 あれ、アレ、あれ。様々なあれという名詞が思い浮かぶものの、圭吾にはわからない。しかし、ふと今までのことを思い出すと、ひとつだけ少女に関連する物があった。 「あれって、蜂蜜?」 朝食の時、その瞬間だけ少女の目が輝いていたような気がしたのを思い出したからである。 それに食べ物と言えば、少女が作った黒い物体とその程度のものしかなかったのだから間違いないだろうと思ったのだ。 「圭吾……もしかしてこんな少女を餌付けしてたのか?」 およよ、およよとまるで哀れみの目で見つめてくる京介。 事の顛末をしっていると言うのに、このようなりアクションをする辺り、やはり彼ら二人は仲がいいようだ。 「違う。絶対違うッ! な、そうだよな、お前も何か言ってやれ!」 「そうなんじゃ、気づけばあの輝きに惑わせられ、あれがないと生きていけんようになってしまったのじゃ。というわけでケイゴよ。これからも宜しくだ」 「そう。やっぱお前は正し――くなぁあああいッ!」 「マスター。彼はやっぱりおかしいです」
――いつまでも、この場には笑いが響いていたとかいないとか。
END
そんな光景が行われていたのとは別の場所で、またもう一つの語るべきことが残っていた。 少し寄り離れた電柱の上で、そんな彼らを眺める一人の女性の姿。なんとも危ない光景である。 「おかしいですね。こんな予定では……」 口元をきゅっと噛み、怪訝な表情を表す彼女。確か名を、あの教会では雨宮と言っていたはずである。 「あのまま各二つの扉は戦い合い、それでいてあと、最低一年は生で殺し合いが閲覧出来るはずでしたのに」 彼女は目を逸らし、遠くの空を見つめた。 「これもこれも、全てはあいつのせいです。なんですか、これは回想だの、本編に戻らないといけないだの、挙句の果てにはフラグだの言って! そのような介入者の存在によって圭吾さんはウィルクスの扉を、扉を……よりにもよって捨ててしまわれた! そのせいで精神リンクに十分時間が取れなく……なって」 何を言っているのかが分からない。 あれは地の文であり、この本編には関係のないこと。何より読者の皆様を楽しませるために書かれたものであって、それは決して、この小説に出てくる登場人物にはわからないようになっているはずである。 「ねぇ、そうなんですよね。私を見ている、あ・な・た」 どこか遠くの空へと向かって、甘い声でそんなことを言う彼女。 頭がおかしくなってしまったのかもしれない。 「おかしくなんかありません」 答えられました。え、答えたッ!? 「お待ちなさい」 何故か宙へと向かって右手を突き伸ばしてくる彼女。 心なしか、肩を掴まれたような気をして彼女が写っている角度しかを見ることが出来ません。って何故ッ!? 「あなたには天誅が必要なようです」 物凄く嫌な予感がします。すげー嫌な予感がッ! 「天誅♪」 う、うわぁああッ! 「そうしてその女性はどこからともなく雷を落とし、姿を消していきましたとさ。どこからか、謎の悲鳴が上がったという噂が立つのは近辺の住民による後日談だったそうな。めでたし、めでたし」
TRUE END
〜おまけコーナー〜 あの騒ぎ。朝の学校で彼らが起こした騒動は当然皆に知られてしまっています。 しかしその後、一日が経ち、三日が経ち、一ヶ月が経っても何も追求されません。あの場には二人にとって仲のいい藤野くんもいたのにも関わらずです。 それについて某電波少女のお二方にインタビューをしてみました。 「皆が登校している時間にも関わらず、それでいて何も騒ぎが起きないというのは不思議でしょうがないのですが、何があったのですか?」 こう尋ねました。すると帰ってきた答えは。
「魔の力じゃ」「魔の力です」
だそうです。 そのような理不尽な回答でいいのだろうかと思った私は思い切って、当事者である二名の男性に突撃。インタビューをしてもらうことにしました。しかし。
「圭吾、圭吾ったら。あの時のお前の演技力といったら完璧と言っても過言ではない。怒りの表情と言い、悲しみの表情といい、完璧だった。どうだ、一緒に我が校の演劇部を盛り上げてようではないか! こら待て、どこへ行くんだ。逃げるな! けいごぉおおおおッ!」
なんとも騒がしい様子だったのでインタビューすること叶わず。 いや、しかしいいものですね。仲の良い友人を持つというのは素晴らしいなと思う圭吾くんと京介くんのお話。 これはこれで面白みがあり、退屈を紛らわせてくれるのかも――って、圭吾くん。廊下を走ってはいけま――ッ! ザーザー……。
〜おまけEND〜
[READ MORE...]
|
| 自動販売機 |
流れ行く時の中で私はふと思った。 ――これが私の運命なのだろうか? 毎日毎日同じ風景を眺め、晴れの日には太陽を直に浴び、雨の日には黙々と雨を浴びる。 降りかかる太陽、降り注ぐ雨、凍てつく風、万物に痛みを与える雪。 自然災害とまでは言わなくとも、それらすべてが私の敵だった。 そんな中での唯一の救い。 彼の存在意義を認めてくれる者達の姿。 ……しかし、存在を認めてくれる者が決して無害とは言いがたい。 現に今だってそうなのだ。 私の前には、まるで値踏みをするかのように立ち尽くす一人の男の姿があったのだから。 何を考えているのか、何を思っているのか、それさえもわからない無表情な顔。 そして、男の手が私の身体へと触れていく。 上から下へ。 初めは軽く、後に強く。 それでも私は抗えなかった。 身体は動かない、声は己の意思で発することが出来ない。 それが救いと呼べるのだろうか? そして、いつもそんなことを考えている自分が悔しかった。 でも――。
『おおきに〜。仕事、頑張りや〜』
その瞬間、軽く微笑んでくれたのはとても印象深いことだった。 片手に冷えた缶コーヒーを持ちながら、その男性はこの場をそそくさと後にしていく。
そんな姿を見ると、こうして毎日同じ風景を眺めているも悪くないなと思ってしまう。 結局はまた同じことの繰り返しなのだが、そんな一瞬で私の気持ちは救われていた。 だから、私は今日もここで同じ景色を眺めているのだろう。 稀に来る訪問者を待ちながら……。 [READ MORE...]
|
|
|
|
|
|